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トリコロールな猫

猫とつくばと茨城をこよなく愛するnekotricolorのブログです

中米エルサルバドルの工業高校でLinuxを教えていた話 〜 どんな授業をやっていたか

 

「中米エルサルバドルの工業高校でLinuxを教えていた話 〜 学校で驚いたこと」の続きです。

www.nekotricolor.com

仕事を探す

エントリのタイトルは「Linuxを教えていた話」になってますし、要請にはなんらかの授業を受け持ってほしいというようなことが書いてありましたが、Linuxの授業をやってほしいという話があったわけではありません。隊員はまず仕事を探す必要があります。

私はまだ学校に他に隊員がいるから「協力隊で来た日本人」として存在を認識されていたものの、よそでは要請を出した人が派遣先からいなくなってたとか、職場で誰も自分が来ることを知らなかったとかいう話はザラです。そんな中、自分が来た意義を見出すために奔走しなければなりません。とはいえ、私はかなり早い時期に見つけられました。幸運だったと思います。

現地の人の仕事を奪わない

個人的に、協力隊員含め、ボランティアで海外に行く人にとって最も重要なのはこれだと思っています。でもこれが実は難しい。

隊員にかかる費用はすべてJICA持ちなので、配属先にしてみれば、2年間無償労働してくれる人材が手に入ることになります。もし私が、今いる教師の授業に口を挟もうとすれば、現職の教師を解雇して私を代わりに据えるかもしれません。エルサルバドルに限らず、実際にそういう話をよく聞きました。コンピュータ技術の場合はシステム開発の要請も多いと以前の記事で書きましたが、行ってみたら仕様だけ渡されて後は丸投げ、完全にタダ働きのプログラマとして扱われた、なんてこともあります。

私が来たせいで同僚が仕事を失うようなことになってはならない。それじゃあ来た意味がないし、綺麗事だけでなく、怨恨で殺されることもあるかもしれません。エルサルバドルの殺人の動機第一位は私怨です(派遣当時)。

同僚の仕事を奪わないように、スキマ産業的なものを探す必要があります。

Ubuntuという啓示

私は派遣前、セキュリティベンダでコンサルやらセミナー講師やらサーバの要塞化(サーバを強固にする設定を施すこと)やらやってました。当時の主流はSPARC Solarisでしたが、BSDやLinuxも一通り触っていました。

当時同僚が授業でやっていたのは、電子回路やPCの組み立てなどの基本的なことのほか、VBによるプログラミングでした。Windowsが主流で、Linuxも一応扱っていましたが、GUIでのインストールや設定作業のみ。そこに私が行ったわけですから「じゃあLinuxを教えるか」ということになりました。

結果、同僚が授業のコマをやりくりして私に週に講義半日、実習半日分のコマをくれることになり、2006年1月から授業をやることに。授業が始まるまで、私は教材を作りつつ、週に一度同僚に教えることになりました。

ディストリビューションはこの前の年、2004年に初リリースされたUbuntu。私がRedHat系でなくDebian系の方に慣れていたということ、デスクトップPCとして使い勝手が良さそうだったこと、なによりもメディアを無料でエルサルバドルに送付してくれることが決め手になりました。当時なにげなくITメディアかなんかを眺めてたらUbuntuの紹介記事が目に入って、神からの啓示かと思いましたよ。

ちなみに2006年1月から、Ubuntuの技術的なブログをはてなダイアリーで始めました。はてなとはこの時からの付き合いです。ちょうど10年ですねえ。しみじみ。

d.hatena.ne.jp

学期や時間割の仕組み

ここでINTIの学期や時間割の仕組みについて書いておきます。

といってもうろ覚えなんですが、1月が年度はじめ、4学期制で11月にExpoと呼ばれる文化祭があり、そこが生徒たちの研究発表の場になっています。11月後半〜12月いっぱいは長いお休み。その他、4月のセマナサンタと8月のアゴスティーニで1週間ほど休みがあります。祝日もあるけど日本よりかなり少ないと思う。
1学期は10週間、うち1週間はテスト期間です。

3年生はExpoで卒業研究を発表することになっていて、最後の学期はその準備に全てあてられます。札幌ドームとか作ってました。

http://www.flickr.com/photos/44539043@N05/24650118809
ちゃんと動く

で、コンピュータコースの場合、実習の授業で用意できるスペースやPCの台数が限られているため、26人の生徒を3つに分けて、3週間ずつローテーションします。つまり、同じ実習を違う生徒に対して3回やると。

講義のほうはハードウェアとソフトウェアの2グループに分かれて1日交代でやります。

授業は、朝7時から夕方5時くらいまで。なんでこんなに長いかというと、学年によって午前午後と別れているから。INTIは国立の学校なので家が裕福じゃない子が多く、授業をどちらかに寄せることで空いている時間に働けるようにしているんです。
でも先生は変わりませんからね。私の授業は午前中だったので、午後は治安の問題もあり17時前には帰っていたのですが、同僚2人は17時までガッツリ授業やった上に夜は大学に通ったりしてました。2人とも同年代だったけど、仕事にも自分の勉強にもとても熱心で、本当に尊敬してます。

プレ授業

2006年1月の授業開始に先駆け、2005年の11月〜12月に4回ほど、2006年に受け持つ予定の生徒に向けて授業をやりました。

どういう経緯でやったんだっけなあと当時のブログを漁ったところ、こんな記述が。

来年から3年生に教えるんだけど、どう考えても0から始めて10週間で終わらせるのは無理そうだったので、休み中にできるといいんだけど、なんて先生にちょっと話したらあっという間に生徒に広がったらしく、「いつ~いつ~?」とせっつかれ、勢いで「じゃあ金曜の午後からね」なんて言ってしまいました。

やだかわいい。私の生徒かわいい。

で、参加者を募ったところ27人中18人が行きたいということで、決行することに。休み中にわざわざ学校に来て勉強したいとかすごいよね。

内容はごくごく基礎の話で、私のマシンにPUTTYでつないでもらって、パスとかパーミッションの説明をしつつcdとかchmodとかやってもらったり。最終回はtelnetでWeb見たりメール送ってみたり。

http://www.flickr.com/photos/44539043@N05/25017730445

当時のブログを読み直すと、生徒たちはとにかく先生の言う通りに、わからなければすぐ先生に聞いて、みたいな感じでしたが(壊れても高くて買い換えられないからそうなってるんだと思います)、私の授業では、自分で考え、壊れたらインストールし直せばいいだけなのでとりあえずやってみて、余裕があったら周りの生徒に教えてあげる、という風になるようにかなり頑張ってたみたいです。なにせ言葉が通じませんから、生徒同士で補佐し合ってくれるととても助かる。と正直に話すと、積極的に教えっこしてくれました。

そんな感じでプレ授業はそこそこうまくいきました。ここで生徒たちとある程度信頼関係を作れたのも大きな収穫でした。

3年生の授業

カリキュラムも教材も1から作って授業やってテストする。全部スペイン語で。
とっても大変でした。

カリキュラムはざっくり以下のような感じ。

  1. 基本的なコマンド
  2. ファイルシステムの基礎
  3. vi
  4. シェルスクリプト
  5. ネットワークの基礎
  6. DNS、Webサーバ構築

カリキュラムはまあ参考になる本もたくさんあるし本格的に授業が始まる前にだいたい決まってましたが、教材づくり、話すこともろくにできないスペイン語を書くって作業は大変でした。授業は講義でも実習でもひたすらUbuntuの画面を見せながら説明。若干の絵心があったのでホワイトボードに絵を描きまくった。

最初の期末テストで全然点が取れない子が何人もいて、成績が悪いと留年になってしまうので救済措置のために毎回小テストやったり。A4一枚という制約でカンペ作らせて持ち込めるようにしたり。GUI環境だとゲームやり始める子がいるのでCUIなランレベルで実習やったり。なんか今じゃ考えられないくらいいろいろやってました。

と授業をやるだけでも死にそうになってるのに、クラスの雰囲気づくりっていうんですかね、相手は高校生、しかも外国人ですから本当に難しかった。講義の方は前述の通りクラスが2つに分かれていて別々の日にやるんですが、明らかに片方のクラスの雰囲気が不穏になっていた時期がありました。スペイン語が話せないアジア人の女ですからね、バカにする子もいて。

でも授業でちょっとざわついたりすると、プレ授業に出ていた子たちが「シッ」てしてくれてとても助けられました。
そして一度同僚が、「彼女は遠くから、自分にはない知識を伝えにきているんだから敬意を払え。真面目に授業を受ける気がないならいますぐ出て行け」と真剣に叱ってくれたことがあり、そこがとどめとなって授業中に騒ぐ生徒はいなくなった。

サラッと書いてますけど、お国柄としてそういうことを大人の男が口に出していうというのはなかなか難しいことで、それをあっさり言ってのける上、それでも壊れない信頼関係をキチンと生徒と築いている同僚たちはほんとすごいです。
同僚たちが私に対して最初から常に敬意を払ってくれていたからこそ、破綻しなかったのだと思います。

まあ不満を抱えていた生徒はいたかもしれませんが、そんなこんなで5月にはみんな静かに授業を聞いて手を動かしてという風になり、教えることに集中できるようになりました。

最後にはDNSサーバも構築し、9ヶ月、なんとかやりきりましたよ。

課外授業

ありがちですけど日本語を教えてました。やっぱりねえ、ジャパニメーションはすごいですよ。同僚は「大学生の頃はドラゴンボールが人生で一番の重要事だった」といってたし。

エルサルバドルに最初に上陸した日本のアニメ、なんだと思います?マジンガーZなんですって。面白いですよねぇ。たまにラジオでOPがかかってたりしました。

で、実はエルサルのコミケに参加した事があります。あるんですよ!コミケが!
コスプレしてる人や同人誌もあって、そこで見たのが犬夜叉、エヴァンゲリオン、サクラ大戦、プリキュア、ハガレン、サイカノ、ヘルシングなどなど。よくまあみんな知ってるわ。

日本語クラスでは、日本語の名刺を作ったり、折り紙を教えたり、とても楽しかったです。

http://www.flickr.com/photos/44539043@N05/24390896113

Linuxカンファレンス

INTIではないんですが、エルサルバドル初のLinuxカンファレンスが2006年10月に行われ、そこでサーバのセキュリティについて喋ってきました。

http://www.flickr.com/photos/44539043@N05/24924437221


クラスにLinuxに並々ならぬ関心を抱いている子がいて、その子が実行委員として活躍していました。彼女については素晴らしい後日談があります。別エントリでじっくりと書く予定。

よく働いた

もうあんなに働くことはないだろうなあってくらいいろんなことをやらせてもらいました。

参加の目的だった、「IT教育を、儲けを考えずに1から全部自分でやってみる」というのは、この上なく理想的な形で実現することができました。

生徒の中には、大学でLinuxの勉強を続けたり、Linuxのエンジニアとして就職したりする子がいて、生徒本人だけでなく親御さんにもとても感謝されたりして、行った甲斐があったなあと思いました。

もちろんいいことばかりではなかったし、相当辛かった時期もあったんですが、今となってはいいことばかりが思い出され、あの2年間をやり切ったことで得た自信は、今の人生でも大きな糧となっています。