トリコロールな猫

猫とつくばと茨城をこよなく愛するnekotricolorのブログです

ある生徒の話

 

前の記事で少し書きましたが、エルサルバドルは治安の悪いところです。特に私がいた国立工業技術高校(INTI)は、マラスと呼ばれるギャング団の2大勢力の境界上にあり、銃撃戦や殺人事件があったりしました。学校は鉄条網つきの高い壁に囲われ、唯一出入りできる鉄格子の校門には、元山岳ゲリラの用務員と銃を持った私設警備員がおり、学校の近くで生徒が職務質問を受けるのも日常茶飯事。

そんな場所だったので、私が把握しているだけでも年に3、4人、学生が事件に巻き込まれて殺されていました。

生徒が亡くなると、クラスメートがその生徒の写真と空き缶を持って各教室を回ります。これこれこういう理由で自分のクラスの生徒が亡くなったので、カンパをお願いします、と。集まったお金は遺族に渡されます。

これは生徒が殺されても同じことで、全校集会もなし、カウンセリングもなし。生徒の中にはマラスに入る子もいるし、INTIの生徒とわかるとマラスに勧誘されることもあり、勧誘を断れば殺されます。歴史的に敵対している高校が市内にあり、街中でそこの生徒と鉢合わせると殺し合いになります。残念ながら生徒が殺されるのはそれほど珍しいことではありませんでした。(だから、生徒たちは学校外で制服を着ることは厳に禁止されています)

一度だけ、私の知っている生徒が犠牲になったことがあります。

INTIに配属されて数ヶ月経ったある日、電気科の子たちが、授業の一環でサンサルバドル火山の頂上にあるテレビなどのアンテナを見に行くというので、一緒に連れて行ってもらうことにしました。

私はINTI初の女性隊員というか、彼らにとってたぶん人生で初めて接するアジア人女性ということで学内では有名で、なんやかんやと話しかけられたりお菓子をもらったりして、生徒に囲まれて山を登りました。

その中で、私に道の花を摘んでくれた子がいました。

日本ではそんな光景滅多に見られませんが、エルサルバドルでは女性にそういうことをするのは割と普通にあって、他の生徒も母親や恋人のために花を摘んだり売店でお土産を買ったりしていました。

背が高くていかにも聡明な顔をしたその子は、大学に進学するんだか受験するんだか、まだ私のスペイン語力が未熟でよくわからなかったけど、とにかく勉強を続けるということでした。

そんな会話をして、お花をもらった1ヶ月後、その子は通学中のバスの中で殺されました。他の乗客の喧嘩に巻き込まれ、頭にナイフを柄まで刺されたそうです。

当時の私はまだ渡エル数ヶ月で、すでに病死した生徒のクラスメートがカンパに回ってきたことがあったのでその習慣は知っていましたが、あのとき一緒に山に登った子たちが、私にお花をくれた子の写真を持って教室に現れたとき、どう考えていいのか分かりませんでした。病気でも事故でもなく、殺された、と。

たまたま山に行ったときに彼とクラスメートを撮ったとてもいい写真があったので、お葬式に行くという同僚にそれを遺族に渡してもらうように頼みました。そのときに、どういう状況で殺されたかを聞きました。

通学中のバスで、というのは私の心をえぐりました。彼はあと3ヶ月で卒業だった。あと3ヶ月無事でいれば、そのバスに乗ることもなくそのまま生きられた。その子はマラスとはなんの縁もなかった子だけに、親御さんの無念を思うとたまらない。無事卒業していれば過ごせたはずの人生の重みを考えずにはいられない。

その事件以降、私はとにかく自分が受け持った生徒たちが死なずに全員卒業できるよう、それだけを祈っていました。私はよく生徒たちに、もう勉強しなくてもいいから生きて卒業して欲しい。地球の裏側からあんたたちをかわいがりにきたんだから、頼むからあんたたちの葬式に行くようなことになることだけはしてくれるな、とお願いしました。

1人、対立している高校の生徒と喧嘩して、爆弾を投げつけられて1ヶ月入院する羽目になったバカがいたけど、生徒たちは全員無事に卒業しました。あの学校にあっては、それもまた珍しいことなのかもしれない。

帰国後しばらくは、人が死ぬ映画やドラマが見られませんでした。通行人Aでも、作り話とわかってても、死ぬまでに積み重ねてきた人生と、死ななければ続いた人生が重過ぎる。だから震災で亡くなった人たちのことを思うと押しつぶされそうになる。どれだけの人生が理不尽に消えてなくなったか。残された家族が、どれほどの重荷を背負っているか。

私は「生きていればいいことあるよ」なんて言わない。人生は本当に不公平で、辛いことも嬉しいことも、たいていは突然降ってきて、自分ではどうしようもない。でも自分が死ぬことで、死ななければ続いた私の人生の重さに押し潰される人がいるかもしれないと考えるようになりました。

きっとその重さは、長く生きていくと減っていくのだろう。大往生した人のお葬式がそれほど暗いものにならないのはそのためかもしれない。だからできれば、「死ななければ続いた人生の重さ」が軽くなってから死ぬのがいい。

人の死や自分の死を考えるとき、私はあの子のことを思い出す。 今年であの子が亡くなって12年経つ。