トリコロールな猫

猫とつくばと茨城をこよなく愛するnekotricolorのブログです

猫を愛でる人生

これは猫 Advent Calendar 2019の12月20日の投稿です。

https://www.instagram.com/p/BMET57KDaOY/
2017年2月にうちの子になったウィリアンです

書き物の仕事をしていて、参考として読んでいた「書くことが思いつかない人のための文章教室 (幻冬舎新書)」にこんな質問があった。

人間って何なのか、生きるって何だろう、そして人生とはーーみなさんならどう答えますか。

いまこの瞬間の話をすれば、大切な人たちがいて、仕事もしなければならず、生きる目的は明確である。でも生まれてからの四十数年という長いスパンで考えると、「あなたの人生とは」と聞かれたら、「猫を愛でること」のような気がする。ちょうど、アドベントカレンダーに「猫」というお題があったので、猫と自分の歴史を振り返ってみる。

私の記憶にある最初の猫は、祖母の家にいた茶トラのオスだ。名前は「メル」。親が共働きだったこともあり、学校の長期休みの時はほぼ最初から最後まで祖母の家で過ごしていた自分にとって、メルは唯一の遊び友達だった。年の近い親戚もいないし、祖母の家の方には友人はいなかったから。
当時の祖母の家には犬もいた。雑種の中型犬のポチと、甲斐犬のメスのコマ。ポチは人懐っこかったけど、小さい私には遊び相手になるには大きすぎて、飛びつかれて引き倒されるのが怖くてあまり近寄れなかった。コマはおとなしいメスだったけど、クールビューティで子供と遊ぶような感じの犬ではなかった。
子供が嫌いな猫が多いのに、メルは私の近くによくいてくれた。庭の大きな石の上に座るメルと、その横に立つ小学生の私の写真が残っている。猫じゃらしの振り方やブラッシングの仕方はメルから教わった。この技術は後々役に立つことになった。宿題の漢字練習帳の上にどっかりと寝転がりつつ私が持っている鉛筆にじゃれたり、私が振る猫じゃらしを追って障子の桟を駆け登ったり、何かと私を構ってくれた。
メルと最後に会ったのは小学校高学年の夏休みだった。特に変わった様子はなかったのだけど、その年の秋にフラリといなくなり、そのまま帰ってこなかった。メルと最後に撮った写真は今でも私の大のお気に入りだ。寝間着を着て椅子に座っているカメラ目線の私と、膝に乗って私を見上げているメルの写真。メルは目を細めて、とても愛情深い顔で私を見ていた。

その後も祖母はたくさんの猫を飼った。スラリとしたブチのオスのゲンさん、サビのタミー、二人の子供のモモ、ポッポ、みよ、マイケル、グレコ。みんな家と外を自由に出入りしていて(昔の田舎の話だ)、モモなんか他所の家で違う名前をもらってかわいがられたりしていたけど、私が祖母宅に行くときは全員必ず一度は顔を見せてくれた。猫ネットワークがあるのだと祖母は言っていた。別に顔を見せたからといって愛想をふりまくでもなく、放蕩者のゲンさんなんかは、「あ、よく来たよく来た」という感じでひと撫でだけ要求してすぐに去っていった。家からあまり離れなかったメルと違い、みんな外が好きだったみたいだ。メルは絶対に人を噛まなかったけど、猫たちがくつろいでいるときにコタツに足を入れると容赦無く噛まれた。猫の性格とか、生業にもいろいろあるんだな、と思った。

こんな具合に、小さい頃から猫は私にとって特別な存在だったのだけど、それを決定的にしたのは、社会人時代、長患いで休職して通院していたときだ。あるとき待合室で受付のおばさんに猫が好きだという話をしたら、近くの公園に地域猫がいるので帰りに行ってみたら?と言われた。いてもたってもいられなくなり、その日の帰りに早速足を伸ばした。

その公園はかなり広くて、大きな池があったり森のように木が茂っていたりして、通院以外ほとんど外に出ていなかった私には結構な散歩になった。そして猫たちがいた。白黒の猫が池を眺めていて、近くにベンチがあったので座ってみた。休憩しつつ猫をゆっくり眺めるつもりだった。座った途端に白黒が膝の上に乗ってきてゴロゴロいいだした。久しぶりに猫を心ゆくまで撫でた。
そうして、病院の後に公園に猫に会いに行くのが楽しみになった。いたりいなかったり、いてもさわれたりさわれなかったりしたけれど、猫とはそういうものだ。目があった瞬間に逃げる子もいた。茂みの中から突然現れて、「お前そこに座れ」とばかりに道を塞ぎ、膝に乗ってきて強引に撫でを要求する子もいた。いずれにせよ、当時は病気を治す理由が一つもなかったので、猫たちとの交流がなければ私は通院し続けることはできなかっただろう。元気になってきてからは、いろいろな公園に猫を探しに行くのが日課になった。外出のきっかけまで作ってくれたのだった。

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あれから十年近く経った。そしてうちにウィリアンが来た。彼はもともとパチンコ屋の餌やりさんから餌をもらっていた野良で、餌やりさんが亡くなったのを機に、NPO団体に保護された子である。他猫との付き合いがヘタで、一軒家を改築したシェルターでは人の休憩場所になっていた台所で過ごしていた。人間大好き、いたずらもせず、一人で過ごすのも上手。多頭飼いの予定はなかったし、昼間家に誰もいない時間がそれなりにあるうちでもやっていけそうな子だった。子猫の頃にカラスか何かにやられたらしい右目の摘出と縫合の手術にも耐え、うちにやってきた。

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野良時代はボス猫だったらしい

シェルター時代はパチンコ屋と同じ名前をつけられていたが、うちに迎える時に「ウィリアン」に変えた。プレミアリーグのチェルシーにいる選手から拝借した名前である。ちなみに彼の背番号は「22」だ(うちにウィリアンが来た当時。いまは10番)。

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ウィリアンがうちに来てから三年近く経つ。ウィリアンがいなかったら乗り越えられなかったことがたくさんあった。猫は空気を読むというけれど、ウィリアンは全く読まない。私がギャン泣きしていようが具合が悪かろうが、自分が撫でて欲しいときは膝の上にくるし、満足すれば去っていく。それが逆に嬉しかった。私がどんな風になろうと、ウィリアンの態度が変わらないということにすごく救われた。

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片目がないのは痛々しいのだけど、本人は全く気にしていないようだ。私がねこじゃらしをウィリアンの右側に振ってしまい見えなくなると、「ちょっと!うまくやってよ!」というように頭をプルプルして文句を言う。私なら無くしたものを思っていつまでもクヨクヨするだろうに、今持っているものだけでうまくやっている姿勢は尊敬に値する。

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そして全くもって信じられないくらいかわいい。

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寝ているときもかわいい。

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座っているだけでもかわいい。

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階段を降りるだけでかわいい。

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三年弱、毎日見ているのに見るたびに驚くほどかわいい。

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お膝の上に乗って撫でを要求されるのは至福のときである。腹だししても落ちないように頭を支えながら、お腹をもふもふしているときに私を見上げるウィリアンの細められた目を見ると、メルのことを思い出さずにはいられない。ウィリアンがメルの生まれ変わりだとかいうつもりはない。ウィリアンはウィリアン、メルはメルだ。ただどちらも同じような愛情を私に持ってくれているということなのだ。

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うちに来てまだ三年経っていないと書いたけど、野良時代がおそらく五年以上あり、シェルターで一年過ごしているので、少なくとも九歳近いはずだ。人間でいえば五十五歳。最近少し耳が遠くなったりしている気がする。少しでも長く、元気で楽しい時間を過ごしてもらえるよう、できる限りのことをしていきたい。
猫を愛でる人生はまだまだ続くのである。