トリコロールな猫

猫とつくばと茨城をこよなく愛するnekotricolorのブログです

中米エルサルバドルの工業高校でLinuxを教えていた話 〜 青年海外協力隊に参加した理由

2005年4月から2007年4月まで、青年海外協力隊に参加して中米のエルサルバドルの国立工業技術高校でLinuxを教えていました。
当時の様子はJOCV@エルサルバドルというブログに書いているのですが、日々の出来事を書いているだけでまとまった読み物になっていないので、こっちのブログにゆるゆると書いていこうかなと思います。
もう10年経っちゃって記憶が薄れる一方なので、ちゃんと書き残しておきたい。

参加した理由

すごく利己的な理由です。IT教育を、儲けを考えずに1から全部自分でやってみたかった。

私は人にものを教えるのが好きです。それに気づいたのは、新卒で入った会社で、2年目の春に新入社員研修の講師を担当した時でした。ネットワークの基礎の基礎を教えるという仕事です。
それまでは自分は人とはあまり関わりたくないタイプの人間だと思っていましたが、自分が教えたことを後輩たちが吸収し、それぞれ違った形で開花させていくのを見るのはとても楽しかったし、後輩は後輩というだけで無条件にかわいいし。

その後も仕事でセミナー講師など担当しましたが、教育はコストがかかる割にお金にならないので、なかなか長期間かけてじっくりやる機会は巡ってきませんでした。

そんなとき、たまたま見た協力隊のWebサイトで(なんでそんなのを見たのかは覚えてない)、学生時代に同じ研究室だった人がケニアに数学教師として派遣された時の体験談を語っているのを目にしました。

そういえば卒業する時に行くっていってたなあと思いつつ、興味を惹かれたのでどんな職種があるのか見てみたところ、「コンピュータ技術」という職種で現地の学校に派遣されてITについて教えるような仕事がありました。

「ボランティアなら思う存分自分のやりたいことができる」と思った私は、2003年の冬の募集に応募しました。

・・・と、ここまでで自分の中ではこれ以上説明不要なんですが、この話をすると「なぜそこでいきなり海外なのか」と質問されることがあります。

これは、「おそらくそういう人材がいないだろう場所で」やってみたいという思いがあったからでしょう。

私はアメリカの同時多発テロの時にペンタゴンのすぐ近くに住んでいて、間近でいろいろなことを見聞きしてきました。

その話は割愛しますが、帰国後、行方不明者を登録できるようなWebサーバを公開した人がいることを知りました。

今でこそGoogleや、国内でも携帯キャリアなんかがその役割を担っていますが、2001年当時はまだそこまで整備されておらず、アメリカ国内のあるエンジニアが構築して公開したものです。

この話を聞いた時に、「ああ、自分にもそういうことができたなあ」と強く思いました。結局のところ、あの時あの地では自分は外国人であり、安全な国に帰る場所がある人間だったからです。
騒ぎの渦中にあってすっかり中の人のような気になっていましたが、よそ者としてもう少し冷静に、自分の持つ知識や技術で何かできたかもしれない、という思いが、あのときに心に根付いたのだと思います。

人材不足・・というかおそらく生活することでいっぱいいっぱいな人が多いであろう途上国では、技術を持ったよそ者にできることはいろいろあるはずだ。そんな思いと、IT教育をやってみたいという願いがリンクして、応募に至ったのでした。

エルサルバドルに決まった経緯

これも不思議な縁でした。

応募時点でどういった要請があるのかはWebサイトで公開されているので、応募する際には職種だけでなく、どの要請に行きたいかというのをいくつか選んで調査票に記入します。その上で、「選んだ要請以外なら行かない」「できればこれらの要請がいい」「どれでもいい」のどれかを選ぶようになっていたと思います。

やりたいのはIT”教育"なのでそれ以外は却下(コンピュータ技術だとシステム開発などの要請も多い)。国については迷いましたが、せっかく行くならのちのち使える言語がいいなあと思って、スペイン語圏かつIT教育という要請をサイトで探したところ、チリのある要請がヒットしたので、それ以外なら行かない、と書いて送りました。
派遣先にはフランス語圏(=ほぼアフリカ)もあるわけですが、アフリカはさすがに・・とビビって中南米が主のスペイン語圏にしました。

協力隊に参加するには、筆記試験と面接と厳しい健康診断に合格する必要があります。
筆記試験についてはさすがに13年も前なのでほとんど覚えていません。なんかエスペラント語みたいなのが出たような。

面接でのやり取りは印象的だったので覚えています。

面接官「nekotricolorさん、チリの要請以外は行かないって書いてるけどどうして?」
私「スペイン語圏でかつIT教育がしたいと思っていて、その条件に合う要請がそれしかなかったのでそう書きました。」
面接官「スペイン語圏でIT教育ができればいいのね?じゃあこの場で調査票をそう修正してもらえますか?」
私「(?)はい、じゃあそうします」

そして結果は合格。派遣先はチリではなくエルサルバドルで、工業高校のコンピュータ科の講師という仕事でした。

エルサルバドルに行くはずだった人が辞退したのか、募集を締め切った後で上がってきた要請なのかわかりませんが、とにかく応募時にはサイトに公開されていなかった要請です。面接の場で調査票を書き換えさせたのはそれが理由だったんでしょうねえ。

結果的にはチリの要請よりもガッツリと教育に取り組めそうだったのでもちろん承諾。
めでたく平成16年度3次隊として派遣されることになりました。

「金儲けを考えずにIT教育をやりたい」「協力隊なら現地での生活費が支給されるので生活の心配をしなくていい」「会社を辞めて行くんだから希望通りの要請に行けないならまた受けなおせばいいと思っている」等々かなり強気な発言をした覚えがあって、よく受かったよなーと思うのですが、「人の役に立ちたい」とかいう曖昧な理由とか変に理想を持ってる人だともたないっていうのがあるのでしょう。

研修と合宿を経てエルサルバドルへ

2004年12月に技術補完研修を受け、2005年1月〜3月に長野県の駒ヶ根にある合宿所で各種予防接種を受けつつ語学その他の勉強をみっちりやりました。

ここでもいろいろありましたが、エルサルバドルの話じゃないんで興味のある方はこちらでどうぞ。

JOCV@エルサルバドル ブログ 技術補完研修
JOCV@エルサルバドル ブログ 派遣前研修

この間に健康診断に引っかかったり語学のテストに合格しなかったりすると行けなくなりますが、無事クリア。
2005年4月、アメリカのヒューストンを経由し、エルサルバドルの首都サンサルバドルに旅立ちました。

最初のひと月は語学研修をしながら生活に慣れる期間で、5月から学校に派遣されました。

次回は学校で驚いたことについてです。ネタみたいだけど本当の話。

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